おんたま倶楽部

読書感想文などを中心に書いていこうと思います

読書感想文 野火ノビタ(榎本ナリコ)『大人は判ってくれない』 page 2

(前回からの続き)

 

②「攻め」として「愛したい」という欲望

 先に、やおい女子が受けのキャラクターに感情移入するとき、攻めのキャラクターは彼女にとって「抱かれたい男」なのだといった。だが、その反面、彼女たちはその攻めのキャラクターにも自己を投影する。野火氏はいう、「つまり彼女は男になって男を犯したいのである」と(BLとやおいの読者の違いについて、野火氏は、前者が主として受けにしか感情移入しないのに対し、後者は攻めにも感情移入するところにある、とも述べている)。野火氏の観察によれば、実際、やおいの同人誌界では、お気に入りのキャラクターを受けに設定したがる女子が多いのだそうだ。彼女たちは、あるときには受けに同化しつつも、あるときは攻めにも転じるのであり、そこにやおい的欲望の複雑さがある。

 しかして、女子たちが攻めに同化するとき、性愛の式は次のように書かれる。

 

 「愛する(犯す)男」 × 「愛される(犯される)女」としての「私」

→「愛する(犯す)男」としての「私」 × 「愛される(犯される)男」

 

 このとき、感情移入の運動は、たんにスライドするのではなく「ねじ曲がった」ものになっている。「ねじ曲がった」というのは、この変身の運動が、①の「受け」として「愛されたい」という欲望における性別上のスライド(女→男)に、さらにもう一ひねり、役割上のスライド(受け→攻め)が加えられることで、屈曲的な動きをなしているからである。

 

 こうした欲望に衝き動かされたやおい女子たちの身ぶりについて、野火氏はあけすけにこう語る。つまり彼女たちは「ファンタジーの世界で男性を去勢、ペニスを奪い取り、男性を犯している」のであり、この側面におけるやおいの機能とは「ちんちんを持っている男の子からそれを奪い取って、自分で装着して犯すぞ」というところにあるのだ、と。それゆえ彼女たちが欲望を仮託するペニスは、無から捏造されたものであっては甲斐がない。それはあくまで、男の股間から奪取されたものでなければならない。それは、現実世界で彼女たちを支配しようとする男たちへの「ささやかな復讐」でもあるのだから。

 

 ここでも私たちは、ペニスの象徴的意味を思い出さずにはいられない。つまり、やおい女子たちが奪い取ろうとするのは、社会的ないし政治的な権力であり、つまりこれはラディカル・フェミニズム運動の暗喩なのである、と。たしかに、野火氏がこれらに類することを念頭に置いていることには、ほぼ間違いはないだろう。だが、やはり私はここでも、こうした象徴性を強調することを控えたくなる。先述のように、野火氏の論の強さは、バカみたいに単純な肉体の現実を重視し、それをやおい女子たちの原点とするところにあると思えるからだ。だから、ここで論じられていることも、あくまで「原初的な欲望」の位相において受け止めたい。

 

 女子たちは、男たちから覆いかぶされてパンパン突かれるだけの存在でいることが、耐えがたく不愉快だった。そこで彼女たちは、ファンタジーの世界へと出かけてゆき、脆さから逞しさへと羽ばたいた。男たちからペニスを奪い取り、それを股間に装着して、こんどは彼らをアンアン言わせることを愉しんだ。それは、男たちを嗤いながら弄ぶ残酷な天使たちの遊びである。受けの男は決して彼女を押し倒すことはできない。彼女はそこで、絶対に主権を失わない。

 

(次回に続く)